郷里にて思うこと

前回は学生時代のことなどを書いたが、こうした日本での思い出は本当に一瞬の事のように思えてならない。故郷を離れてもう、その2倍以上も外国生活が長くなってしまい、実に色々な事があった反面、日本での生活はほんの断片に過ぎず二十歳代までの思い出として突然途切れている。一方、こうした思い出は実に新鮮なままで心中にしまわれている。

子供時代を過ごした田園風景は変貌し、小魚をすくった小川や釣りをした溜池・獣道を駆け巡った山野にはスーパーや量販店が建ち、山は削られ宅地となり、これではまるで ”浦島太郎” である。子供たちを連れて故郷を尋ねても案内しようがない。遠くに見える愛知県との県境、浜名湖連峰を指さし ”あそこの山頂には昔、飛行灯台があってそれが赤く光る。まだ暗い内にオトリのメジロ籠と鳥モチをもって、小鳥を捕らえに寒い早朝から遊んだものだ” など昔話を聞かせながらJR在来線に乗っていると、途中から乗り合わせてきた外国語を話すグループがあった。話の内容から出稼ぎ労働で訪日したのだろう。聞きなれたポルトガル・スペイン語を話す人種が故郷の在来線で乗り合わせるなど、子供のころは想像もしなかった事であり、そして外国生まれの子供たちを連れて故郷を訪れることなど夢にも思わぬことであった。
浜松市からJR線の下りで5つ目、浜名湖畔に面した鷲津という駅がある。ここが私の育った故郷で、海・山・川ありで文字通り自由奔放に育ち、このことは今でも両親に感謝している。育った家から少し行くと豊田式自動織機を作った豊田佐吉の生家があり、何の変哲もないどこにでもある農家が今はトヨタ自動車の記念館として保存されている。子供たちを連れて行って、どんなことでも最初は本当に小さなことから始まるという事を知ってもらいたかったのだ。トヨタ自動車の礎となった豊田佐吉は私の小学校の大先輩である。

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