遊びから学ぶこと

戦争は様々な不幸を生んだのであろうが、昭和19年生まれの私にはそうした記憶はまだなかった。ただ子供ながらに大人たちの話を耳にし、大陸からの引揚者の悲惨さや栄養失調で死んでいった子供たちの話など、おぼろげながらに覚えている。今思うと本当に物資がなかったのだろうと思う。母が私を寝かしつけるときには「起きたらお砂糖をあげるから早く寝なさい」と約束することが常であった。起きて砂糖をもらった覚えは一度もないし、昼寝から目を覚ませばいろいろやらなければならない遊びに没頭するので、砂糖どころではなかったのだ。

家のすぐ近くを流れる小川には、フナ・ドジョウ・ウナギなどが何でも泳いでいたし、どこの川の石垣にも大きなウナギがいることや、それをドジョウや大ミミズを餌に、竹棒を使って静かに穴に入れて釣る ”穴釣り” や、カーバイトランプを持って夜中(これは勿論、狐が人を騙さないと確信した後だ)に田んぼでドジョウを突き刺し捕えたり、タニシはバケツに何杯も捕り、イナゴをコメ袋一杯捕えて母に佃煮にしてもらったり、小川の上流と下流をせき止めてみんなで水をかき出し大きなフナやコイを捕らえる。この作業は文字通りの共同作業で息が合わないと駄目だ。まごまごしているとせき止めた上流の堰が決壊し元も子もないので、大急ぎで水をバケツでかきだす役と、せき止めた堰が水かさが増えても決壊しないように補強する役(それには田んぼの稲刈りした切り株を引っこ抜き根の周りについた泥を利用する)。こうして水がかき出され川底が見え隠れするにつれ様々な魚が背を見せ、それを竹製の石箕(いしみ)ですくい取る者・・・スリルとワクワクで一杯になる。成功して多くの獲物が取れた時は、大満足で仲間たちと分かち合ったものだ。 

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