呼び覚まされる追憶

私は昔から下手の横付きでよく台所に入る癖がある。流しの水槽にまた包丁が浸かっていたので、舌打ちしながら洗って所定の場所に片付ける。本当に何度言っても分からないのだ。私はこの有り様を見るのが実に嫌なのである。

記憶は学生時代に遡る。当時は本当に怖いもの知らずで、どこにでも飛び出ていったものだ。(現在の国土交通省である)当時の建設省が主催した特殊車両の訓練所が茨城県にあり、ブルドーザーやパワーショベルなど大型建設機械のオペレーター養成コースがあったので、そこに一ヶ月間泊まり込んだ。恩師の教えに賛同し、いずれ要開発国に行くつもりであった私はその準備として訓練に加わった。他にも大学の先輩・後輩が数人程参加していた。
その中にYという後輩がいた。非常に思慮深く豪放磊落(ごうほうらいらく)さを併せ持った面白い男だったので、よく面倒をみたことがある。そこの訓練所は農家出身の若者を対象に50人ほどの訓練生がいて、寝食を共にし、食事の後は当番制で食器洗いをした。私と後輩のYが当番をしていた時の事だ。Yが流しの水槽に浸けてある食器を洗おうと手を入れた瞬間、水がぱっと赤く染まった。浸けてあった包丁に気付かず指の動脈を切ったのだ。傷はかなり深く、開いた指からは血が噴き出ていた。この事は何年経っても忘れることはない。

それは、Yが卒業と同時に戦禍のベトナムに農業指導員として家族の反対を押し切り渡ったのだが、間もなく行方不明になってしまったのである。オーストラリアに住むYと同僚の後輩は当時ベトナムで一緒に仕事をしていたが、Yがベトコン(南ベトナム解放戦線)に連れ去られていくのを夢の中で見たと言う。本当に良い奴だった・・・台所の包丁を見ると思い出してしまうのだ。
最初は猛者であるYの事だからどこかできっと生きているだろうと信じていたが、ベトナム戦争が終わり新しい時代の到来となっても、結局何も分からないまま今日に至っている。
この他にも南米にアフリカ経由で渡航した先輩がいたが、夜中に甲板上でいなくなってしまったり不慮の事故で死去した者もいた。私も今になって思えば若気の至りで随分と無茶なことをしてきたし、今まで何もなかったことが不思議なくらいだ。命あっての物種という事を今になってやっと少しは解ってきたような気がするのだ。 

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