各国にみる政策の違い

新型コロナウイルスのリスクが日増しに高まっている。後手後手になっている政府の対応も全く期待できない。危機管理政策が無策なのは日本の文化?と言ってもよいほどで実にいい加減な対策に終始する。集団感染が起こったクルーズ船の感染被疑者が小旗を振って下船していく様は正に驚きであったし、一体どうなっているのだろうと、とても理解でないと言うかこの光景が奇妙でさえあった。
アメリカやオーストラリアはじめ当地ニュージーランドでさえもその関連者は帰国と同時に軍事施設に即隔離され、オーストラリアはお国柄、先祖がそうであったように何千キロも離れた小島に島流し同然の厳しい処置を取っている。これは当たり前のことでここまでやらなければこうした病原体を封じ込めることは不可能であろう。マスクや手洗いなど気休めにしかならない。検査が陰性であっても充分感染が疑われ、下船した乗客たちは公共の交通機関を利用してそれぞれの故郷へ帰っていった。どれだけの病原体をばらまいていったかを考えると鳥肌が立つ思いである。そして今度は政府要請の学校閉鎖、あまりにも両極端な対応でこれでは国民が戸惑うのは当たり前なのだ。結局、日本の官僚が作った政策を何の知識もない政治屋がその原稿を棒読みして実施する。野党はこれに反発するが、相応の力もなく反対する代替案もない。果たしてこんな為政者や官僚に血税を払う意味があるのだろうかと思ってしまう。
以前、政治家がこんなことを言っていたのを思い出す「我が国の政治は官僚がシッカリしているから大丈夫なのだ」と。では選挙によって選ばれた議員は一体何をしているのか、毎日サクラを見て酒を飲んでいるとしか思えない。官僚主導の民主主義?がまかり通り、議員の先生方は選挙が命、落選すればただのオヤジやジジイだから、現場にいる官僚はだれが政権を取ろうが常に我が世の春なのである。この点でアメリカなどは違う。官僚を議員が連れてくる。失策をすればその議員は次回の選挙で落選確実だ。これが民主主義であり、日本には民主主義は存在しないに等しい。これでは中国の一党支配と何ら変わりはなく、安泰の自民党の官僚依存の政治が続く。江戸時代からの遺産で、お役人による長いものに巻かれる事を好むカルチャーがあり、そこには税金の無駄遣いを黙認する無責任さが存在する。海外から見ているとこうしたことがよく分かり実に情けない話なのである。

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