私の幼少期

静岡県西部に位置する私の故郷は、終戦当時まで浜松で軍用機製造会社の技師をしていた私の父(四国高松出身)が、戦後の復興を目指し電動モーターの修理工場を友人の出身地で開業したことによる。
この地は子供にとっては正に天国であった。とにかく毎日毎日忙しくて小学校から帰って来るとランドセルを縁側に放り投げて飛び出し、夏は海、秋は山、春は川、冬は近所の広場でコマ回しや凧揚げ、薄暗くなるまで家に帰ってきたことはなかった。何故夕暮れになると帰宅したのかは、夜になると狐火(きつねび)と共に狐のお化けが出ると信じていたからだ。
蒸し暑い夏の夜には近所の大人たちが縁台(住居の庭先や路地などに置く、木や竹などで作った細長い腰掛け)でうちわ片手に将棋を指し、遠くの夜空には時折雷光が見える。面白半分に集まってきた子供相手にお化け話を、足元の蚊取り線香の香と共によく聞いたものだ。狐が人をだますという事は本当だと信じていた。山野で色んな遊びを考え出し、ミカン園で果樹を失敬したり、まるで猪のように山中を駆け巡り、それはそれは回遊魚のごとく留まることはなかった。やがて日暮れが近づき夕風で山肌の熊笹が波打つと、何か生き物の気配を感じたような、あの狐の事を思い出し不気味になって家路につくのであった。
目いっぱい遊んで腹ペコの私に、母が大好物のサバのフライを作ってくれている。NHKの15分連続ラジオ番組 ”新諸国物語 紅孔雀” を聞きながら、炊き立ての麦飯と揚げたてのサバのフライに酢醤油をかけ堪能したものだ。その母は去年11月に100歳を迎えすこぶる元気である。マヌカハニー・プロポリスをいつも食べていたが、今は施設内のプログラム化された食事以外は誤嚥のリスクで食べることができないのが残念だ。 

関連記事

もっと見る