私の幼少期・2

少年時代は宿題などをやっていった記憶がない。母はともかく父は、子供は自然の中でノビノビと育てることを信条としていたので、子供心ながら私はそれに甘んじていた。第一、何といってもあの自然環境内で家に閉じこもって宿題などに取り組むことは、どう譲ってもできることではなかったのだ。

四季其々の遊びがあった。海では釣りをはじめモリを使ってまだ寒い5月頃から入水するものの、上がって着替えるのにガタガタと震えが止まらず、六尺褌(ろくしゃくふんどし)からパンツへの着替えが震えでできず唇が紫色になるほどだった。
秋が来れば、山の野生果実アケビ・ヤマナシやクリ・シイ・ヤンズコンズと呼んでいたマキ?の実など、名も無いような木の実を上げたらきりがない。春にはメジロを囮籠(おとりかご)に入れ、手製の鳥モチをもって早朝から山に入る。(前にも書いたが)浜名湖連峰の大知波山と呼ばれる山頂の飛行灯台がまだ点滅する薄暗い頃から近所の仲間と出かける。春先の遠く身が切れるような寒さにも負けず、ウグイスが寒さでまだホーホケキョウではなくチャチャとしか鳴けない頃だ。狙いはメジロの捕獲である。目標に定めた低木にメジロが入った囮籠を吊るし、その近くの笹の芯に塗った鳥モチを5・6本仕掛ける。このモチをどこに仕掛けるかによって、その日の成果に直接関係してくる。囮籠にあまり近くてもダメだし、そうかといって遠すぎたりしても駄目だ。高低の差も重要で、要は如何に自然の中に溶け込ませてメジロに違和感を与えないかのセンスが必要になる。
鳥モチは現場に着くまで缶詰の空き缶に水を入れて漬けておき、笹の芯を唾液で十分に濡らして回転させながらつける。帰る時に鳥モチを外すためには唾液を塗っておくのが一番で、大事に保管して次回に備える。準備が整うと、近くの笹薮に身を隠し時折メジロの鳴き声をまねて仲間をおびき出す。

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