南米アマゾンの記憶・2

アマゾンの開発について前回少し話した。私の学生時代は農業関係の大学もあってか一つの大きな方針や考え方として、将来必ず人類が遭遇するであろう食料危機についてどうあるべきか、学生たちは真剣に議論をしていたのである。
当時の大方の若者は共産思想を好んで学び、資本主義はまるで罪悪のように考えられていた。学生たちは共産主義を支持するか、またはそんなことに関心のないノンポリ*の二者択一であった。今から思うと本当に極端な時代だったと思う。私やその(大学入学後の)仲間たちは、そんな時代を生きながら将来に活路を見い出さねばならなかったのだ。
そうした中、眼だけがまるで少年のように光る一老教授が創設して7年が経った学科があった。”農業拓殖学科” と呼び、教育指針は質実剛健のもと、世界各地の未利用地帯での食糧増産がミッションであった。
共産思想やノンポリでもない若者にとっては正に地獄に仏の安住できる地であった。この老教授は三年在学中、南米での1年間の調査実習が始まってすぐにお亡くなりになったのだが、若人へ夢と希望を与えて下さった正に恩師であった。そして多くの卒業生が先生の教えを胸に、世界各地に拓殖学科7期生として海を渡っていった。もう半世紀も昔の話であるが、つい昨日のようだ。

*ノンポリ:1960~70年代、日本の学生運動に参加しなかった学生を指す用語。

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