南米アマゾンの記憶・1

前回のミツバチにつく天敵のミツバチヘキイタダニの事を書いていて、若い時に南米アマゾンで過ごしたことを思い出している。
学生時代に天然ゴム調査で1年程アマゾン川を中心にブラジル大陸に滞在したことがきっかけで、卒業と同時に南米に渡り、以後30年現地で暮らすことになった。未開のアマゾン河流域の原始林に対し、当時外国からの開拓者は開発のために優遇され、ブラジル政府やペルー政府より信じられないほどの安価で土地を買うことができた。流域に沿ってキロメートルいくらといった非常に大雑把な交渉で、何十キロまたは何百キロ単位で所有した土地は奥行きの制限がなく、開拓すればそれが全て自分の所有となった時代があった。(ご参照:ブラジル現地レポート→ http://www.tcn.co.jp/pps/propolis/report.htm )

こうして焼畑農法によって原始林を伐採した処女地に、当時、対共産主義防衛⇒ベトナム戦争としての戦略物資のコショウ(兵士用の食品、缶詰など加工用)のモノプランテーション(単一栽培)が盛んに行われた。非常に肥沃で健康な土地には大変な収量を得ることができ、約10年間はこうした状態が順調に続いたのである。しかしながら、徐々に原因不明によるコショウの病気や害虫が発生し、結局はこうしたコショウ栽培農場は全滅に近い状態となった経緯がある。
同時代に、当時は自動車産業に君臨するアメリカのフォード財閥(自動車のフォード)がタイヤ生産に欠かせない天然ゴム生産で豊富な資金と機械力をつぎ込み、天然ゴム栽培のモノプランテーションをアマゾンのジャングルに展開したのだが、結局8年足らずで撤退しコショウ栽培と同じ結果となってしまった。

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