日本の鯨肉文化

調査捕鯨船

前回は食文化について、食文化は異民族間において互いの文化を理解する上での礎などと述べた。ここでどうしても触れておきたいことがある。私の子供の頃はどこの家庭でもクジラやイルカの肉はよく食べていた。金が無かった学生時代も安い蛋白源としていつも助けられた。渋谷にクジラ専門のレストランがあり、ここは実に美味しく鯨肉を安価なメニューとして出していた。また大手水産会社が商品化していたクジラの脂身を利用したベーコンなどは本当に懐かしく思う。魚以外の動物性タンパク質として鯨肉は日本人にとって貴重だった。獲れたクジラは余すところなくすべてを無駄なく利用する文化が日本には根付いていた。勿論、米国や北欧にもこれらの文化はあっただろうが、日本ほどクジラを完全利用する国はなかった。
アメリカ捕鯨が有名だったが、そもそもはクジラの脂から蝋燭を得ることが大きな目的であった。牛肉が豊富な国は好んで鯨肉など食べはせず、せいぜいペットの餌や大部分は捨てられてもいた。やがて時代とともに、電気の利用によってクジラを資源とする産業は廃れた。しかし日本での鯨肉の利用は民衆に深く浸透し、食文化として愛されてきた。それが世界中の環境保護団体と名乗る輩の恰好な標的となってしまった。それを後押しする傾向の強い国としてオーストラリアや当地ニュージーランドが挙げられる。様々な考え方や意見もあるだろうが、親から子へと伝えられた先祖伝来の文化を、殆ど歴史もない国々や単なる動物愛好家グループの自己満足によって文字通り抹殺されてしまったのである。このような伝統文化を、安っぽい団体やそれを支持する国々によっていとも簡単に破壊された例は世界中でも日本だけなのである。
少し前に北欧の捕鯨船を妨害してきた環境保護団体のメンバーが船上から銃で打ち殺された。この有名な団体はその国の捕鯨活動を二度と邪魔することはなかったという。それに引き換え、日本人の根性はいったい何処へ行ってしまったのだろうか。政治家なども単なる税金をむさぼる詐欺集団と化し、益々の格差社会が永遠と続くのだろうか? 海外から見ていると、本当にこれからの日本は一体何処へ行くのだろうと思うのである。

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