中学に上がって
こうして中1の2学期が始まる頃には浜松市街に移り住み、田舎での生活は終わったわけで、市内の中学校に通...
母と私
一方私の母は、戦時中に空襲警報が鳴る中、私と辻家400年伝来の大小日本刀数振りを抱え、浜松市内の防空...
父のこと
前回は叔父について少し触れた。父は幼くして両親を亡くし、従妹であり私の叔父と兄弟同様に育てられた。叔...
電気の威力
父は電気のプロだったことから、高電圧コイルを自作してこれに自動車のバッテリーを電源として組み合わせ、...
遊びから学ぶこと
戦争は様々な不幸を生んだのであろうが、昭和19年生まれの私にはそうした記憶はまだなかった。ただ子供な...
叔父という技術者
終戦直後の日本は本当に貧しかったのだろうが、みんながみんなそうだったのでそれが当たり前で特に貧しさは...
狐と私
このようにして私の少年時代は毎日毎日遊ぶのに忙しく、静岡県の西部の田舎で正に文字通り自由奔放に育った...
自然から学ぶ知恵
こんな具合で出来上がった鳥モチは水の中に保存する。メジロ取りに使う時は、事前に口内に含み体温で柔らか...
ニッキの香りと思い出
こうして少年時代の想いをめぐるとキリがない。四季折々、実に色々な事を考え出して遊んだものだった。前回...
子どもながらのプライド
少し待っていると確実にメジロが2~3匹、囮籠(おとりかご)に近づいてくる。この時が一番ワクワクして緊...
私の幼少期・2
少年時代は宿題などをやっていった記憶がない。母はともかく父は、子供は自然の中でノビノビと育てることを...
私の幼少期
静岡県西部に位置する私の故郷は、終戦当時まで浜松で軍用機製造会社の技師をしていた私の父(四国高松出身...