狐と私

このようにして私の少年時代は毎日毎日遊ぶのに忙しく、静岡県の西部の田舎で正に文字通り自由奔放に育ったといっても過言ではない。そして前にも話したように、狐が人を騙すと本気に信じていた。これは、周りの大人たちが面白がってウソをまことしやかに話し脅かすからであった。例えばこんな調子で ”ちょっと前に山から燃料用に枯れ木を集めてリヤカーに載せ、帰路へと向かうもいつまで経っても家に着かず、明け方になって気づくと、同じところをくるくると回った輪の跡があった。これは間違いなく狐に騙されたに違いない” とか、”近所に住む婆さんが「良い湯加減だ」などと肥溜めの中に入って気持ちよさそうにしていた” などなど。こんな話を聞くと本当に狐は怖ろしいものだと、この世でもっとも怖い存在だった。

あまりにも怖くなって父にこの事を話したら、父までもが「それは本当かも」と言うので怖さは極限に達し、見かねた父は「四つ足が人間を騙すことなど有るものか!」と怒られる始末。それでも半信半疑で、とにかく騙されるのはやはり怖いから日暮れには必ず家に帰ることにしていたし、狐火が怖く日暮れには家路についた仲間も同じ心境であったはずだ。
小学校に上がるかどうかの頃に浜松市の動物園が開園し、市内に住む従妹や親戚の叔母などと見学したことをよく覚えている。なんでもその時は ”博覧会” と呼んでいた記憶がある。色んな動物がこの世にはいるものだと子供ながらに感心していた。次々と見ていくうちに、異様に臭く汚らしい小動物がフェンスの中でうろちょろしていた。年上の従妹に聞くと狐との事、この時ほど調子が狂ったことはなかった。

それから30年の年月が経ち、南米から一時帰国、結婚し新婚旅行に京都・奈良の旅で或る神社に立ち寄った。この稲荷神社には神の使いとして狐が威風堂々と祭られている。見ているうちに腹が立ってきて片手に持っていた神社の案内書でその狐像の横っ面を引っ叩いたところ、新婚の嫁がたいそう驚き、子供時代にどれだけ狐には悩んだことかを話すと、嫁はこのバカげた話を何故か真剣に聞いていた。それ以来、嫁はこのバカげた亭主に文句も言わず南米・オセアニアと付き合ってくれている。嫁から見れば実に迷惑な話であるのかもしれない。しかし、こうした自然を相手とした生活は私のbasicであり、里山で枯れ木をおこして炭を作り、強火の遠火で捕えた食用カエルのもも肉を焼いた味は、世の中にこれほどうまいものがあったのかと思うほどで決して忘れられない。

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