自分で作り出す春の食

2017.11.08

春はどこも同じなのか、当地もこの時期は強い風が吹き巣箱の外蓋が飛ばされたり、稀ではあるが気を付けないと巣箱自体が横転することさえある。
養蜂場には竹林があり、これを防風に利用している。こちらの竹は日本のように広い範囲で広がることがなく、株の塊といった感じで点在する。種類も少なく、太く長いモウソウ竹のような種類は無く、丸竹が多い。ハチクの種類で細く背の低いものも多い。
昨日は、このハチクが群棲している敷地内でタケノコを少し取ってきた。モウソウのタケノコ掘りは、まだ地中にある段階のものをクワなどで採るようだが、ハチクは地面から20センチほど出ているものを折るだけで簡単だ。持ち帰って包丁を縦に浅く入れると簡単に皮が剥がれ、これを輪切りにする。少し硬めのところは繊維が多いので避け、包丁が簡単に入る部分を使う。これをコメのとぎ汁に一昼夜漬け、アクを取って炊き込みご飯の具材に使うと、実に旨く香りもあって食欲を誘う。

こちらはイギリスの文化で、食べ物に関しては種類も少なくこれといって旨いものが無い。ましてやパンダではあるまいし竹など食う奴は誰もいない。スーパーなどに行っても、食材に関してはカートを引きずりグルグルと店内を回るだけで、買いたいと思うものが全くない。特にイギリス系の白人は味盲といってもよいほど、何を食べても旨いものが無く、菓子類でもやたらと甘いだけだ。家内などは買って来るものよりも野山で採れたり、川や海で釣ったり拾ってきた貝など ”タダ” の物の方が何倍もマシだという。
例え金銭に糸目をつけず他者から楽しみや美味しいものを提供してもらったとしても、ここでは決して期待はできるものではなく、がっかりするだけである。要するに、全て己で作り出さねばならないのである。
これはオーストラリアでも言えることだ。昔、子供や甥たちを連れて、留学先を訪ね初めてオセアニアに来たのだが、腹が減ったのでタクシーの運転手に「最もオーストラリア的なレストランに連れてってほしい」と頼んだら、その運転手は困り果ててグルグルと市中を回り、結局これといったところが無く、バルカン料理の店に案内された事を思い出す。

以前、日本政府が定年を迎えたシルバー世代に「スペインなどに行けば、日本と比べて格安な住居を用意して老後の生活をエンジョイできる」などと宣伝をしていた。長年日本文化にドップリ漬かったリタイヤ世代が、住居・生活費などが安いからといってそこで満足できる生活ができるなど、とても考えられない。それは、どこへ行っても楽しみを作り出すことやそれに生きがいを感じるタイプならまだしも、日本のように、他者から楽しみや面倒を見てくれる至れり尽くせりのサービス精神旺盛な国に慣れ切っていたら、他の国ではそれを簡単に手に入れることができないのである。この事はこちらでは当たり前の事なのだ。ただ、誰にも干渉されない自由は一杯ある。

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