ニュージーランドの自然

当地ニュージーランドの自然についてちょっとだけ話そうと思う。ニュージーランドと日本とでは同じ島国で共通するところが多い。最初に当地を訪れたのは我が子たちと(日本にいる甥の留学先を決めるため)実弟との計5人だった。我が子たちはすでに留学先の中・高等学校が決まっており、時は1995年、阪神・淡路大震災が起きて直ぐのことだった。
オーストラリアに在住する学生時代の後輩に案内され、甥の大学留学先を物色した。この間シドニーのホテルに3日程滞在したが、そのホテルにワーキングホリデービザで神戸市内から来たという娘さんが訪ねてきて、当地では正確な情報が入手できないらしく実際の被害状況を知りたいとの事。なんでも実家が垂水区だそうでかなり心配していた。とにかく落ち着くまではすぐに帰国しない方が良いのではないかと率直な考えを伝えた。
地震があった当日私たちは(リオデジャネイロからの帰国で)浜松の実家に滞在していたが、明け方に目が覚めて10分もせずに揺れ始めた。それは決して激しい揺れではなかったが実に気味悪く、とにかく地盤が緩んで足が地についていないようなユラユラした横揺れが40秒ほど続き、早く治まってくれないかと祈る気持ちであった。これがあの神戸の大地震であることを朝方のTVで知ったのだった。
シドニーのホテルに訪ねてきた娘さんには「希望を持つように」と励まし、我々は後ろ髪を引かれる思いで空港に向かったことを覚えている。

当地ニュージーランド南島のクライストチャーチに到着し南島にある大学を見て回り、そこからレンタカーで(北島の首都ウェリントン行のフェリーが出港する)ピクトンと呼ばれる南島最北端まで運転した。全行程350㎞は全て弟の運転で、私は後部座席から初めて見るニュージーランドの農村風景を眺めていた。当時住んでいたブラジルでは左ハンドルの右側通行だったため、ニュージーランドでの運転に自信がなかったからだ。車窓から見るこの地は、行けども行けども牧場ばかり、羊と牛しか見ることができなかった。開拓者のイギリス人によって原生林の山は山頂まで伐採され、見渡す限り単調な牧場が続く。そういえばブラジルに甥が訪れ、我が子たちと一緒にアマゾン河を水路で丸一日移動したときも、延々と続く原生林にさすがの子供たちも飽きてしまったのと同じように、ニュージーランドの風景もまた単調な牧場風景が続くのみだった。(続く)

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