プロとしての哲学

2017.09.26

はちみつ生産のプロとしてやるからにはそれなりの哲学的なものが必要だと思うが、何がそうした考えにさせるのか。まず、自然を相手にすること、これは第一次産品生産者には共通するので当たり前といえば当たり前の事である。しかしこの当たり前であることが、己の力ではどうしようもない事なのだが・・・。 
養蜂に関しては、当地に来て今年で22年、ブラジルでの暮らしは25年、合計40年余りになる。40年もやればどんな馬鹿でも大体の事は分かるだろうと思われがちだ。ところが、ミツバチに関しては今でも全く分かっていないに等しい。この昆虫に関しては本当に不可解なのである。

こちらの養蜂家の集まりでは、何でも分かっているような事を言う者が多いが、本当は全く分かっていないか、うぬぼれで分かっていると勝手に思っているに過ぎない。彼等の話しを聞くと、実に馬鹿らしくがっかりするのを通り越し、腹が立ってくる事もあるので今は参加しない。中にはミツバチに理解を示す人もいるが、こうしたタイプは集まりなどには参加せず自分でゆっくりやっているのだ。ましてや日本から買い付けに来たり、養蜂の専門家と称する大学の先生などが現場を視察に来るが、蜂の扱い一つ見てもまるでお話にならない。自分のサイトに分かったような事を書いているが全く「頓珍漢」、消費者がこの程度の記事で納得するのだろうか? 「開いた口が塞がらない」とは正にこの事と改めて認識してしまう。

何年やっていても本当は全く分からない事ばかりだ。奥が深いといえばそれで終わりだが、かといって逃げてしまったら負けなので、不可解ながら性懲りもなく日々挑戦しているわけだ。
人類100万年の歴史に対しミツバチは4000万年以上ともいわれる。この世にシダ植物から花を咲かせ、実を結び、種子によって繁殖し、生物多様性を有する高等植物の顕花植物が生まれのたと同時に、彼女等(ミツバチは女系集団)が発生したといわれている。
今日ある美しい自然界は、ミツバチによってもたらされたものだと思っている。仮にこの昆虫がいなかったならば、多様性豊かな自然は無かっただろうとも思う。このように、人間の歴史とは桁違いに異なる生き様を理解しようとする方が無理なのかもしれないと、妙に納得する有様なのだ。彼女達の社会構造は、争いの多い人間社会とは全く異なる。実に無駄が無く合理的であるにも関わらず、必要な場所には無駄も存在し、オス蜂の一生の様に非情なまでに冷酷な厳しさも共存するのだ。何でこんなバカな事をするのだろう? と思うことがある。しかしそれは、種族の維持上において絶対不可欠な事であるとしばらく経つと分かってくる(数年後になることもある)。
前にも話した「蜜蜂の尻振りダンス」が蜜源の仲間への伝達方法であったことを解明し、ノーベル医学生理学賞を授与されたフリッシュ博士の記念講話にある「この発見の根底には ”ミツバチは無駄な事はしない”という大原則がある」という事を念頭に日々飼育にいそしむが、正に何度も言うようにミツバチとは、”実に不可解な” 生き物なのである。

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