これぞ正統派!ストロングマヌカハニー

お電話でのご注文は 052-990-2996 平日 9:00-18:00(土日、祝祭日は休み)
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ストロングマヌカハニー

品質はそのまま、新ラベルにリニューアル!

活性度の限界に挑んだ究極のマヌカハニー

人里離れたニュージーランド北島部

100万本のマヌカ自生林がある山岳地帯

面積125エーカーの弊社直営養蜂場で採取

弊社の天然完熟マヌカ生ハチミツは、1995年より製品化に漕ぎつけ現在に至ります。ニュージーランドに永住権を持ち、海外での養蜂歴が40年以上にもなる日本人の養蜂スペシャリストがリーダーとして就任しています。

ハチミツは、自然の産物です。ミツバチが自らの命を削り一生懸命に採取したものです。そして、そのミツバチ達を来る日も来る日も・・・本当に愛情たっぷりにお世話しているのが養蜂職人達です。ミツバチは、命あるもの・・・一日たりとも気を抜けません。元気なミツバチがあってこそのハチミツです。弊社の養蜂職人達は、常に我が子の様に深い愛情をもってミツバチに接しています。それは、母親と同じ・・・ミツバチ達のどんなに微かな変化でも絶対に見落としません。

そんな養蜂職人の情熱とミツバチ達から生まれた弊社のストロングマヌカハニーは、インターネット上やデパートなどで売られているマヌカハニーと称する量産製品とは、全く異なります。信頼と実績でのみ成り立ち、この種の蜂蜜として活性度の限界まで迫った正真正銘のオーガニック製品です。

※新ラベル・パッケージになりました。
蜂蜜の味や品質・内容量は従来品と変わりません。

ニュージーランド原産ストロングマヌカハニー

20年以上わたり培われた本物だけの証

高品質・不能率・限定生産

同じ物は、二度と出来ません・・・

− ケース1
こんな時に。
  • 寒い季節の心強い味方

    寒い季節にありがちな不快な感じ・・・
    スッキリしない嫌な感じ・・・
    こんな時にも、マヌカハニーが気になる場所にアプローチしてサポートしてくれます。
    マヌカハニーは、寒い季節の心強い味方となります。お客様よりうれしいお声もたくさん頂いております。
    マヌカハニーを積極的に取り入れて、元気に栄養補給しましょう!

  • 不意のアクシデントに

    アクシデントはいつも突然・・・
    それにともなう不快感もイヤ・・・
    不快感があると集中できなかったり・・・
    せっかくの楽しい気分も台無し、なんてこともありますよね!
    マヌカハニーは、そんな時にも内側からも外側からもサポートしてくれます。
    全身に優しいマヌカハニーで不意のアクシデントも乗り切ってしまいましょう!

  • 健やかな毎日のために

    毎日の生活にマヌカハニーを取り入れることで、生活にハリが出てきたと仰る方がたくさんいらっしゃいます。普段の食事からでは不足しがちな栄養もマヌカハニーは含んでいますので、補うことで日々の生活にも変化があるかも? 何だかシャキッとしないなど、生活の中でスムーズにいかない場面・・・
    そんなシーンにおいてもマヌカハニーは、お役に立てると思います。

  • なんだか喉がイガイガ・・・

    環境などによりなんだか喉がイガイガ・・・
    季節の変わり目や、忙しくてもなかなか休めないとき・・・
    喉がイガイガする感じというものは、誰にとりましても本当に不快なものです。
    でもこんな場合にも、マヌカハニーはあなたを内側から優しくサポート! マヌカハニーが、その喉のイガイガにアプローチしてくれるかもしれません。

− ケース2
こんな時に。
  • ケアはしてるのになんか・・・

    仕事にもプライベートにも忙しい日々・・・
    時間に余裕のない忙しい毎日を送られている方には、ケアはしてても追い付かないなんてこともあるでしょう。そんなときには、普段のケアにマヌカハニーをプラスしてみると、ケアの手助けになるかもしれません。
    内側からも外側からも、気になる場所のケアのサポートを、マヌカハニーにお手伝いしてもらいましょう!

  • スッキリしないとき

    なんとなくスッキリしない・・・
    メイクがスムーズいかない・・・
    何だかスッキリ感がなくて、お洒落も決まらないようなときってあるものですよね!
    そんなときは、外側からのケアだけでは追い付いていないのかもしれません。
    マヌカハニーで、内側からもしっかりアプローチしてみましょう。スムーズにスッキリできるかもしれません。

  • エチケットが気になるとき

    なんとなくエチケットが気になるような場面があるかと思います。そんな対策にも、マヌカハニーをお役に立てるかもしれません。
    人と接する機会が多い方のエチケットのサポートにも、マヌカハニーはオススメです。
    内側からも外側からもしっかりと頼れる存在のマヌカハニーは、継続的に取り入れていくことで、もっと自信が持てる毎日へのサポートをしてくれるでしょう!

  • もっとお洒落を楽しみたい

    思い存分にお洒落をしたいのに何だか気乗りがしない気分のときがありますよね・・・
    そんな気分のときにも、内側と外側からのアプローチが良いかもしれません。
    マヌカハニーは、お洒落したい方の救世主ともいえるでしょう!
    美容にも健康にもうれしいのが、マヌカハニーなのです。
    もちろんお洒落に敏感な男性にもオススメ!

極限まで追求する活性強度

妥協などありえません・・・

高品位のハチミツにするためには、ミツバチ本来の自然な習性にゆだねた生産が必須となります。ハチミツは、ミツバチによって作り出されるもの・・・ミツバチが全てともいえます。ミツバチにとって自然は当たり前の事で、我々は、そこから恩恵を受けているのだという事を忘れてはなりません。それは、コストパフォーマンス的には悪いことなのかもしれません。しかし、ストロングマヌカハニーの命である高い活性度を有するためには、妥協などあり得えません。

 

マヌカ樹木原生林のみに展開している弊社養蜂場では、特有要素である【活性強度】を極限まで追求しております。日本人の天性ともいえる繊細さと職人気質を持ちまして、20年以上に渡り尽きることのない情熱と愛情を注ぎながら、ミツバチとマヌカハニーに真剣に向き合ってまいりました。

 

ストロングマヌカハニーとは、それだけの思いの詰まった製品なのです。そんな弊社のストロングマヌカハニーをきっかけに、心からの笑顔へのお手伝いが出来ればというのが弊社の願いであります。マヌカハニーを通じて、愛と笑顔のリレーを目指します。

 

驚異の活性力TCNのストロングマヌカハニー

正真正銘のオーガニック製品!
美味しいから続く
自然にこぼれる笑顔

健康な毎日をマヌカハニーがお手伝い
一日当たりティースプーン1~2杯を
目安にお召し上がり下さい。

【お客様より製品のご感想です。】

◎お守りのようなもの

ずっと冬になると気になっていた健康の悩みがありました。マヌカハニーを食べるようになってから数年、今ではそんな悩みもなくなりました。マヌカハニーは、お守りのようなものです。お友達にも紹介したら今では、すっかりファンになっています。

 

◎感動しています!

今回もお世話になります。二回目の注文ですが、今回はプロポリスも合わせて注文したいと思います。後、先日送って下さったメールの続きもお願いしたいです。
ストロングマヌカハニーって本当に素晴らしいですね! 本物に出会えて嬉しくて感動しています! 信念と情熱を持ってマヌカハニーを作られているのですね! これからもよろしくお願い致します。

 

※体験談はご愛用者の感想であり、実感には個人差があります。

養蜂職人のマヌカハニー情熱ブログ!

  • 母と私

    2018年05月18日更新

    一方私の母は、戦時中に空襲警報が鳴る中、私と辻家400年伝来の大小日本刀数振りを抱え、浜松市内の防空壕に逃げ廻った話をよく聞いた。今日も一日無事であったこと、明日は全く分からない状態で、田舎に疎開するまで生きた心地ちがしなかったとよく話していた。
    私が1歳半のときに終戦を迎えたが、米軍機の襲来で焼夷弾が降り注ぐ真っ赤な光が大好きで、背中ではしゃいでいたとのこと。浜松は軍需産業が集中していたので米軍のターゲットとなり、最初は遠州灘の沖合からの艦砲射撃、続いて上空からの焼夷弾で丸焦げになってしまった。とにかく、浜松駅前から北にある山岳地帯まで見通しができる程、何一つ遮るものがなかったそうだ。
    終戦になって田舎に住むようになっても、夜中に占領軍の米軍機が遥か上空を飛行する低音の爆音を聞くたびに、母は身体に震えが来て子供ながらに心配したものだ。そんなことで物心ついた頃から物資は慢性的に不足し、これが都会の生活者だったら本当に大変なことだったろう。でも小学校に通うようになって多くの支援物資が田舎にも届くようになり、特に脱脂粉乳を沢山摂ることができたことは今思うと大いに健康に関係していたことだろう。小学校の倉庫にはユネスコからの支援物資として、圧縮紙でできた大きなドラム缶状の容器があったことをよく覚えている。アフリカのソマリアや北朝鮮の欠食児童の報道を見るたびに、私たちもそのような環境で助けてもらったのだからそれに報いる義務を痛感することがある。

  • 父のこと

    2018年05月15日更新

    前回は叔父について少し触れた。父は幼くして両親を亡くし、従妹であり私の叔父と兄弟同様に育てられた。叔父の妻は母の姉であるので叔父ファミリーとは濃い血縁関係にある。
    父は日大工学科を卒業して満州に渡り満州鉄道に就職した。そして陸軍に入隊し、支那事変で敵ゲリラ部隊の掃討作戦に加わった。射撃が得意な父は、特別射手として主に敵の指揮官を狙撃する任務だったようだ。戦後、銃をもって静岡県西部の山野へ狩りによく連れて行ってもらったものだ。その腕前は確実で、狙った獲物は必ず仕留めた。当時の私は、狙えば必ず当たるものと思っていたほどその腕前は冴えていた。陸軍を一時退役した父は、浜松市に有った中島飛行機で電気技師として働き終戦を迎えたが、もし技術者でなかったら南方方面に送られ、かなりの確率で戦死していただろうとよく話していた。
                       
    戦後、中島飛行機の技術陣の多くは富士重工業に移り、その後自動車関連(スバル)で活躍することになる。ヒット商品となったスバル360の高性能エンジンは、ゼロ戦の技術陣によって生み出された。父は浜松から少し西に下った鷲津という町でモーターの修理工場を友人と共同経営することになり、戦後の復興需要で順調なスタートだったようだ。しかし共同経営はどの時代でもなかなか難しい所があったようだ。
    一方、母は4人姉妹の末っ子で戦前実家は浜松市内でも指折りの大きな旅館をやっていたようで、その関係もあり祖父からの援助を基に浜松市の中心街で割烹旅館をすることになり、父は調理師になるために料理学校に通った。当時の同僚たちはペンチが包丁にかわったといって父を冷やかしたらしいが、もともと料理が好きで小さなことにこだわらない、マイペースの父は全く相手にもしなかったようだ。
    戦後の高度成長の波に乗り、両親の割烹旅館の繁盛ぶりは浜松でもトップクラスであったようだ。母の女将としての采配と接客には定評があったほどで、こうして弟・妹を含む3人ともに関東の大学へ行かせてくれた。父母の汗水流した働きぶりは今でも脳裏に焼き付いている。叔父・叔母・父も亡くなり、ただ一人、母は今月で100才と6ヶ月になりすこぶる元気に過ごしている。

  • 電気の威力

    2018年05月11日更新

    父は電気のプロだったことから、高電圧コイルを自作してこれに自動車のバッテリーを電源として組み合わせ、魚を感電させるウナギ捕獲器?を作った。完成後、どの程度の威力があるかを試すのに私がその実験体となった。両極を両手で触れさせスイッチを入れた瞬間とんでもないショックが両腕に走り仰天した。それを見て父は大笑いをしヨッシャと四国弁で満足した。数万ボルトと言う高電圧の人体実験であったのだ。技術屋であったので、高圧であっても流れる電流は知れたものだからと考えた事だろうが、実験された方はたまったものではなかった。強烈な電気ショックは筆舌に尽くし難い驚きであり、今でもこの事については腹が立つほどである。

    その自作器を持って、父の工場の従業員や友人が集まり夜中にウナギ捕りをすることになった。日本の法律では電気で魚を取ることは違法なので、夜に出かけることにしたのだろう。ウナギの住んでいるところは私が詳しいので同行した。多分かなりの収穫を見込んでリンゴ箱を自転車の荷台に取り付けての出動となった。結果は ”大山鳴動して鼠一匹”(も捕れず)だった。
    これは不思議で、昼間に小川の石垣から首を出している大きなウナギが潜む穴を私はたくさん知っていた。そこに捕獲器の電極を近づけても全然反応がないのである。この事は少年期の私には全く理解できない事だった。後になって分かったことだが、ウナギは夜行性で夜には餌を求めて穴から出るとの事だった。だから夜中にいくら高性能の捕獲器?を使っても捕れるわけはなく、後に私は天竜川の河原で石場に潜むウナギを父の自作器で試してみたが容易にウナギが感電して浮かんできた。ただ絶縁が完璧でなかったので時々強いショックで感電したし、これは法律違反なので実験だけとし、また感電もするのでやめた。当地ニュージーランドではこの方法は特に違法であることは聞いていないので、時間のある時には試してみたいと思っている。

  • 遊びから学ぶこと

    2018年05月08日更新

    戦争は様々な不幸を生んだのであろうが、昭和19年生まれの私にはそうした記憶はまだなかった。ただ子供ながらに大人たちの話を耳にし、大陸からの引揚者の悲惨さや栄養失調で死んでいった子供たちの話など、おぼろげながらに覚えている。今思うと本当に物資がなかったのだろうと思う。母が私を寝かしつけるときには「起きたらお砂糖をあげるから早く寝なさい」と約束することが常であった。起きて砂糖をもらった覚えは一度もないし、昼寝から目を覚ませばいろいろやらなければならない遊びに没頭するので、砂糖どころではなかったのだ。

    家のすぐ近くを流れる小川には、フナ・ドジョウ・ウナギなどが何でも泳いでいたし、どこの川の石垣にも大きなウナギがいることや、それをドジョウや大ミミズを餌に、竹棒を使って静かに穴に入れて釣る ”穴釣り” や、カーバイトランプを持って夜中(これは勿論、狐が人を騙さないと確信した後だ)に田んぼでドジョウを突き刺し捕えたり、タニシはバケツに何杯も捕り、イナゴをコメ袋一杯捕えて母に佃煮にしてもらったり、小川の上流と下流をせき止めてみんなで水をかき出し大きなフナやコイを捕らえる。この作業は文字通りの共同作業で息が合わないと駄目だ。まごまごしているとせき止めた上流の堰が決壊し元も子もないので、大急ぎで水をバケツでかきだす役と、せき止めた堰が水かさが増えても決壊しないように補強する役(それには田んぼの稲刈りした切り株を引っこ抜き根の周りについた泥を利用する)。こうして水がかき出され川底が見え隠れするにつれ様々な魚が背を見せ、それを竹製の石箕(いしみ)ですくい取る者・・・スリルとワクワクで一杯になる。成功して多くの獲物が取れた時は、大満足で仲間たちと分かち合ったものだ。 

  • 叔父という技術者

    2018年05月01日更新

    終戦直後の日本は本当に貧しかったのだろうが、みんながみんなそうだったのでそれが当たり前で特に貧しさは感じなかった。
    とにかく何にも無いのが普通だから、自分たちで作り出さねばならない。小学校の友達が今日の弁当はこれだといって、弁当箱の中身はでっかいサツマイモが一個入っていたことを今でも思い出す。「子供には腹いっぱい食わしてやれよ」と父が母に話していたことをはっきり覚えている。という事は両親は腹いっぱい食えなかったのだろうと、かなり後になって感じたものだ。父の話では、私の叔父はこんなものとても食えたものではないと言いながら、カタツムリを食べていたそうだ。
    戦時中、海軍技術将校であった叔父は戦闘爆撃機の銀河、特攻機の桜花の設計者であった。こうした超有能な技術者を戦後のアメリカが自国の発展に利用しなかった事は、米国人のナンセンスさを如実に物語っていると思う。同じ敗戦国であるドイツの学者や技術者はロシアとの争奪戦を繰り広げたのに。宗教や文化が異なるといっても学問や技術は何の関連性もないのに・・・だ。
    父は香川県の松平藩の中老の血を引き、大きな土地を小作に任せ経済的には裕福であり十代まで金の使い方すら知らなかったようだ。父は幼くして当時猛威を振るったスペイン風邪(A型インフルエンザ)により両親を亡くし、叔父の家に引き取られ、叔母によって兄弟同様に育てられた。

    私がまだブラジルに暮らしている頃、訪日し再びリオデジャネイロへと帰路の途、浜松駅の新幹線ホームで大勢の人々が三脚にカメラを据え付けシャッターチャンスを伺っていた。なるほどこれが鉄道マニアか、と珍しそうに見ているうちに一体何を撮るのだろうと好奇心が湧き、いかにもマニアっぽい中年男性に聞いてみた。すると ”今日が0系の走行最終日” との事だった。

    東大で工学博士を取得した叔父は流体力学の専門家で、時の国鉄総裁に東京-大阪間を3時間で結ぶことができると提言し、その計画実現に尽力した新幹線の生みの親でもあった。自分の作った飛行機で多くの若者の命が消え、戦後自身の能力を生かすには鉄道しかなかったとのこと。鉄道は平和産業であり、戦争には使えないからと生涯、叔父のトラウマになっていたようだ。もっとも、叔父の娘であるフランス文学者の書いた本には、鉄道だってロジスティック(兵站)として戦争には深く関連性があるなどと反発しているが、それは亡くなった叔父への甘えなのだろう。

  • 狐と私

    2018年04月27日更新

    このようにして私の少年時代は毎日毎日遊ぶのに忙しく、静岡県の西部の田舎で正に文字通り自由奔放に育ったといっても過言ではない。そして前にも話したように、狐が人を騙すと本気に信じていた。これは、周りの大人たちが面白がってウソをまことしやかに話し脅かすからであった。例えばこんな調子で ”ちょっと前に山から燃料用に枯れ木を集めてリヤカーに載せ、帰路へと向かうもいつまで経っても家に着かず、明け方になって気づくと、同じところをくるくると回った輪の跡があった。これは間違いなく狐に騙されたに違いない” とか、”近所に住む婆さんが「良い湯加減だ」などと肥溜めの中に入って気持ちよさそうにしていた” などなど。こんな話を聞くと本当に狐は怖ろしいものだと、この世でもっとも怖い存在だった。

    あまりにも怖くなって父にこの事を話したら、父までもが「それは本当かも」と言うので怖さは極限に達し、見かねた父は「四つ足が人間を騙すことなど有るものか!」と怒られる始末。それでも半信半疑で、とにかく騙されるのはやはり怖いから日暮れには必ず家に帰ることにしていたし、狐火が怖く日暮れには家路についた仲間も同じ心境であったはずだ。
    小学校に上がるかどうかの頃に浜松市の動物園が開園し、市内に住む従妹や親戚の叔母などと見学したことをよく覚えている。なんでもその時は ”博覧会” と呼んでいた記憶がある。色んな動物がこの世にはいるものだと子供ながらに感心していた。次々と見ていくうちに、異様に臭く汚らしい小動物がフェンスの中でうろちょろしていた。年上の従妹に聞くと狐との事、この時ほど調子が狂ったことはなかった。

    それから30年の年月が経ち、南米から一時帰国、結婚し新婚旅行に京都・奈良の旅で或る神社に立ち寄った。この稲荷神社には神の使いとして狐が威風堂々と祭られている。見ているうちに腹が立ってきて片手に持っていた神社の案内書でその狐像の横っ面を引っ叩いたところ、新婚の嫁がたいそう驚き、子供時代にどれだけ狐には悩んだことかを話すと、嫁はこのバカげた話を何故か真剣に聞いていた。それ以来、嫁はこのバカげた亭主に文句も言わず南米・オセアニアと付き合ってくれている。嫁から見れば実に迷惑な話であるのかもしれない。しかし、こうした自然を相手とした生活は私のbasicであり、里山で枯れ木をおこして炭を作り、強火の遠火で捕えた食用カエルのもも肉を焼いた味は、世の中にこれほどうまいものがあったのかと思うほどで決して忘れられない。

  • 自然から学ぶ知恵

    2018年04月24日更新
    ミツバチの移動

    こんな具合で出来上がった鳥モチは水の中に保存する。メジロ取りに使う時は、事前に口内に含み体温で柔らかくして、ササの芯を回転させながら口内で薄く塗っていく。非常に粘着力のあるモチだが、口内の唾液がまるで潤滑油のようになり粘膜につくことはない。

    先日屋根の修理をした際にハシゴをかけた重みで雨どいを割ってしまった。大雨が来てその部位から滝のように雨水が流れ落ちテラスのデッキが水浸しだ。娘が近くのホームセンターでシリコンの防水材を買い、ヒビが入った部分に防水材を塗っていたが、どうもベタツキが激しく思うようにシールができない。最後は指で防水材を塗りつけるものの、その指にもまとわりつきうまく塗れずにしびれを切らしていたが、私と交代して首尾よく直すことができた。結局、指を唾液で濡らしてシリコンを塗れば、難なく簡単にうまくゆく。これは前記の鳥モチの扱い方を利用したまでの事なのだ。こういう単純な事ほど今の世代は知らないのである。

    逆にパソコンの不具合などになると娘を頼るしかないが、何もPCがなくても生活はできるのだと強がりを言いつつ、内心はこうした文明の利器には実に腹が立つことが多いのだ。でも幸いに養蜂という仕事は文字通り自然を相手にするので、子供時代に覚えた多くの知恵が自分の気付かぬところで役立っていることが多い。ガキ大将から伝承された知恵やリスク回避、つまりどこまでやったら危険なのかという事を子供ながらに身に着け、これは自然からの授かりものであり、ガキ大将の言う事を聞いていればまずケガなどすることもない。
    最近の世代は私のころには有り得なかったイジメやリンチで命を落とすことがよくある。これはどこまでやったら ”ヤバイ” のか限度が理解できないからである。こういう事は自然界から学ぶのが最も近道で、本当は今の世代にもできるだけ自然環境を与え、その摂理を知るべきであると思う。

  • ニッキの香りと思い出

    2018年04月20日更新

    こうして少年時代の想いをめぐるとキリがない。四季折々、実に色々な事を考え出して遊んだものだった。前回のメジロ取りに使う鳥モチは、近所の駄菓子屋に行けば置いてあったが小遣いの十円でいくらも買えないので自作した。山中を歩き回り ”モチノキ” を探すのだ。
    少し時間をかけて探せば見つかるもので、葉っぱが丸みを帯びた何の変哲もない低木の雑木だ。それが本当に ”モチノキ” なのかは経験豊かなガキ大将が鑑定し、その樹皮をナイフでこそげ落とす。ナイフはこの頃の子どもたちの必需品で、折りたたみの切り出しナイフをいつもポケットに忍ばせていた。実に様々なシーンで使い重宝したものだったが、これで鉛筆を削り勉強した覚えはない。
    削った ”モチノキ” の皮を丸め、山を下り切るとそこには沢があった。大きくて適当にくぼみんだ石を見つけては樹皮を盛り、こぶし大の石ころで小川の水をかけながら石臼で餅をつくように何回も何回も繰り返しているうちにだんだんと粘度を帯び、ついにはモチが出来上がる。こうした単純作業は子供ながらに飽きることを知っている。そうならないように、モチノキを探すと同時にニッキの木も一緒に物色して、この皮や根を噛みながら作り上げるのだ。ニッキの香りとその甘み、ほろ苦さが大好きだった。
    最近は当地ニュージーランドにも多くの外国人が移り住んでいるのか、タイ・ベトナム・マレーシアなどアジア系のレストランが日増しに増えている。たまに家族で外食をするが、こうしたアジア系の料理に使われる香辛料で、シナモンが入った料理が出てくると、その香りが急激に少年時代の思い出をよみがえらせる。シナモンとは日本語でニッキ(肉桂)の事なのだ。

  • 子どもながらのプライド

    2018年04月17日更新

    少し待っていると確実にメジロが2~3匹、囮籠(おとりかご)に近づいてくる。この時が一番ワクワクして緊張する。そして、鳥モチにメジロが掛かる。飛んできて足元にモチがくっつき、上体だけが慣性で前につんのめるので、必ず回転するようにさかさまにになって掛かる。この時、隠れていた笹薮から飛び出し出来るだけ早くメジロをモチから外さないと、羽などにモチが付いて厄介な事になってしまう。
    とらえたメジロは風呂敷に包んで籠に入れる。包んでいないと逃げようとして籠の目をついてしまいケガをする。こうして何匹かを捕らえて仲間と分けて飼育がはじまる。野生の鳥だが少しずつ人間に慣れ、餌もよく食べるようになり環境にも慣れてくる。毎日容器に水を張り、水浴をし清潔な鳥でもある。
    何のために飼うかだが、鳴き声の美しさを仲間と競うのである。この鳥の鳴き声は餌によって大きく変化する。どんな餌を与えるかは秘密中の秘密で、鳴き声のランクは3段階に分かれ、ランク順に、ツヤチョン → ツイリン → チーなのである。ツヤチョンの鳴き声が奏でられるように飼育するのは至難の業で、しゃもじ菜などの柔らかな菜っ葉をすり鉢で砕き、ヌカやビスケットの粉などを使うというが、私は何度挑戦しても成就したことはなかった。本当にこの鳴き声を持ったメジロがいたかどうか、少年期を過ごしている間は確認できなかった。
    一方、ツイリンは少し大切に可愛がれば割合容易に鳴かせることができるが、それでも結構難しいのでツイリンを持っていれば威張ったものだった。これは柑橘類をいつも餌として与えていれば鳴き出すことになる。
    一番低ランクのチーだが、これは何もしなくてもいい加減な餌で十分、いつもサツマイモを蒸かした餌ばかりを与えていると、とても短くチーと醜く鳴くのでこの事を ”芋チー” と言い、これのオーナーは手厳しく軽蔑されたものだ。もっとも戦後間もない当時は食品としての芋は貴重で、たかがメジロの飼育にビスケットなどはとても使用できず、ツヤチョンと鳴くメジロは幻的な存在だった。そして飼育する以上、”アイツのメジロは芋チーだ” とは絶対言われたくなかった。こんな感じで、子どもなりにそれぞれやることにプライドがあったように思う。

  • 私の幼少期・2

    2018年04月13日更新

    少年時代は宿題などをやっていった記憶がない。母はともかく父は、子供は自然の中でノビノビと育てることを信条としていたので、子供心ながら私はそれに甘んじていた。第一、何といってもあの自然環境内で家に閉じこもって宿題などに取り組むことは、どう譲ってもできることではなかったのだ。

    四季其々の遊びがあった。海では釣りをはじめモリを使ってまだ寒い5月頃から入水するものの、上がって着替えるのにガタガタと震えが止まらず、六尺褌(ろくしゃくふんどし)からパンツへの着替えが震えでできず唇が紫色になるほどだった。
    秋が来れば、山の野生果実アケビ・ヤマナシやクリ・シイ・ヤンズコンズと呼んでいたマキ?の実など、名も無いような木の実を上げたらきりがない。春にはメジロを囮籠(おとりかご)に入れ、手製の鳥モチをもって早朝から山に入る。(前にも書いたが)浜名湖連峰の大知波山と呼ばれる山頂の飛行灯台がまだ点滅する薄暗い頃から近所の仲間と出かける。春先の遠く身が切れるような寒さにも負けず、ウグイスが寒さでまだホーホケキョウではなくチャチャとしか鳴けない頃だ。狙いはメジロの捕獲である。目標に定めた低木にメジロが入った囮籠を吊るし、その近くの笹の芯に塗った鳥モチを5・6本仕掛ける。このモチをどこに仕掛けるかによって、その日の成果に直接関係してくる。囮籠にあまり近くてもダメだし、そうかといって遠すぎたりしても駄目だ。高低の差も重要で、要は如何に自然の中に溶け込ませてメジロに違和感を与えないかのセンスが必要になる。
    鳥モチは現場に着くまで缶詰の空き缶に水を入れて漬けておき、笹の芯を唾液で十分に濡らして回転させながらつける。帰る時に鳥モチを外すためには唾液を塗っておくのが一番で、大事に保管して次回に備える。準備が整うと、近くの笹薮に身を隠し時折メジロの鳴き声をまねて仲間をおびき出す。

マヌカとは・・・
ニュージーランドの大地に咲く
真っ白でかわいらしい花

マヌカとは、ニュージーランド原産の常緑性の高さ5メートル未満の低木です。日本では、ギョリュウバイ(御柳梅)やティーツリーという名の方でよく知られているかと思います。日本でも見かけるギョリュウバイは、ほとんどが園芸種となり、ピンク~赤系の色で一重と八重の2種を見かけるかと思います。しかし、これらの花からは、残念ながら活性力のあるマヌカハニーやエッセンシャルオイルが採取されることはありません。花蜜も少ないことから、ミツバチも滅多に向かうことはありません。抗菌活性度の高い活性マヌカ生蜂蜜やマヌカ精油が採取されるマヌカ木というのは、原生林に自生する白色で花弁が一重の花のみとなります。

マヌカ花蜜中のジヒドロキシアセトンが
MGO含有量のカギとなる成分

活性マヌカ生ハチミツの活性力を、極限まで追求しました

~マヌカハニーが出来るまでの過程~

➀ 外勤蜂(働き蜂)がマヌカ花より採取してきた花蜜を、蜜胃と呼ばれる部位にいれて巣箱に持ち帰り、口移しで巣箱内の内勤蜂に花蜜を渡します。花蜜は、内勤蜂(働き蜂)の蜜胃に入ります。

② 内勤蜂は、外勤蜂から受け取った花蜜を蜜胃から吐き出すと、自身の唾液の中に存在する酵素と混ぜ合わせます。これにより花蜜は、ブドウ糖と果糖の単糖へと転化されます。

③ ②の作業と同時に自身の体熱(3739℃)と羽により発生させる旋風を利用して花蜜の水分を蒸散させることにより、糖度80%以上の完熟ハチミツの完成となります。完熟ハチミツは大切に貯蔵されます。(マヌカ花蜜中に含まれているジヒドロキシアセトンは、37℃付近の温度でゆっくりとメチルグリオキサール(MGO)へと変化していきます)

品名
ストロング マヌカハニー
名称
ストロングマヌカハニー(レプトスペルマム系活性マヌカ生蜂蜜)
原材料名
活性マヌカ生蜂蜜100%(輸入通関時における食品検査にて添加物、残留農薬不検出)(テトラサイクリン、クロラムフェニコール、ストレプトマイシンなど各種抗生物質不検出)
原産国
ニュージーランド
起源植物
マヌカ木(leptospermum scoparium)
内容量
500g
保存方法
常温保存

20周年記念!
ラベル&化粧箱リニューアル
マヌカハニーの老舗ならではの貫禄

※新ラベル・パッケージになりました。
蜂蜜の品質・内容量は従来品と変わりません。

活性強度27+以上の高活性力

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*MGO®含有量分析試験書
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