私の養蜂について ~先住民との共通点・入植者との違い~

養蜂は分類上畜産業になる。牛や羊のように牧草を食べさせて大きくしたり搾乳したりするのと多少は似たところがあるが、理想はやはりミツバチに任せた自然体の養蜂が最も良いと思っている。こちらの養蜂家(蜂飼い)は収穫物の蜂蜜をできるだけ多く採ろうと様々なことをする。とりわけイギリス系白人は能率を重視する。例えば流蜜期を終えて蜂蜜を収穫する際には巣箱の中にある蜂蜜のすべてを搾り取ってしまう。ミツバチたち、つまり彼女たち(ミツバチは女系集団)が蜂蜜を集める目的は子孫繁栄、そして、間近に迫る冬を無事、越冬するための食料としての貯蜜である。巣箱の中は年間を通し37℃程の温度で保たれている。これは、卵を産み、次世代蜂を育てるのには都合の良い温度であり、且つ様々な酵素類が最も活性化しやすい温度環境であるからだ。そのためにはエネルギー源となるグリコースつまり食料となる蜂蜜がなければならない。
折角、流蜜期に彼女たちが一生懸命ため込んだ蜂蜜が全て、蜂飼いによって横取りされたら、たまったものではない。勿論、生きていけなくなる。そこで、ほとんど全てと言っても過言ではない蜂飼いたちは、彼女たちを生かしておくために砂糖を食わすことになる。通常、高い濃度の白砂糖を溶かしたシロップである。大規模養蜂場ほどこうした人為的な飼育が顕著で、ポンプ付きの500リットルほど入るタンクにシロップを入れて、作業車ごと養蜂場に乗り入れ、各巣箱内の餌箱にホースを差し込み次々と満タンにしてゆく。シーズンが終わり、夏枯れの乾季となり咲いている花も花蜜も少なく、やがて秋となり急激な気温低下が始まる。彼女たちはそこにあったであろう流蜜期に集めた蜜蓋された完熟蜜*に代わり、空っぽの巣房はそれこそ餓死してしまうので餌箱のシロップを飲みのみ越冬することになる。

(完熟蜜* 巣箱内では集められたマヌカ花蜜の水分が内勤蜂によって体温と羽風によって取り除かれる。 飛行目的にならない角度の羽によって起こされた旋風と筋肉熱で巣箱内は37℃に保ち、蜜の糖分濃度が80%以上に高められ、ミツバチの唾液中に含まれる酵素類が加わり、2糖類(蔗糖=砂糖)からブドウ糖と果糖の単糖に分解され、完熟蜂蜜となり蜂蝋で蜜蓋される。
高品位の蜂蜜を得るには、このようにミツバチに任せ、時間をかけた生産方法が最も求められるところである。これは全て花蜜の高エネルギー、つまりグリコースが熱源となる。糖度を上げる目的は酵母菌など微生物の活性を抑え、発酵し糖分がアルコールに変化しないためにも越冬の為の食料とし長期の保存が目的となる。
このように完熟蜂蜜は永久的に品質の変化は無く、数千年前のピラミット内で発見されたという蜂蜜に何ら変質が見られなかったことは有名。それは、加熱・加工が必須の量産されたブレンド蜂蜜とは大きく異なる。因みに純粋蜂蜜に水を加えると発酵し酒ができる。ギリシャでは新婚の1カ月はこの蜜酒を古くから飲む文化がある。蜜月Honeymoonの由来だそうだ。)

人間も社会生活をする同じ生き物として、能率のみを重視する管理養蜂の「おぞましさ」とはこのことを言うのであろう。彼女たちが流蜜期以降に得た卵から幼虫は、ナースビー(子育て蜂)によってシロップで育てなければならない。こうして育つ彼女たち働き蜂は、次世代蜂として来シーズンの採蜜の中心的な役割となる。砂糖を利用することによって次世代蜂には決して良い影響を与えない。マヌカ流蜜シーズンが何と言っても勝負時であるがためにこうした便法をとっても、それは結局、健康的な蜂に育たず低収量に繋がってしまうからだ。やはり強群の彼女たちに育ってもらうには不自然なことは御法度である。

私のところとその仲間である先住民でつくる小規模養蜂家連合は、決してこうした「おぞましい」養蜂はしない。何故ならば、それは「神々」が望んでいないからである。
日本は国土の70%が自然林からなる世界でも稀な国である。少し郊外に行けば水田など農地が広がり、そこにある農家は山肌に面したところに建てられ、そこには日本の原風景がある。浦山には鎮守の森に囲まれた神社があり、神様がおられる。そして、山、川、水、森の木々にも全て神様が宿っておられる。 自然は全て神がおつくりになったものであり、これらの自然の恵みにおいて村人たちは生かされているという文化がわが国には太古からある。だから決して神々の許可なく自然を破壊することはできない。
私は長くカトリック教徒の人口が世界で一番多いブラジル社会に暮らしてきたせいか、こちらニュージーランドに来て、日本人と全く同じ考え方をする先住民族を知り、驚嘆すると同時に何か久方ぶりに心が和らいだことをはっきり覚えている。

一方、キリスト教文化は一神教であり決して他の神など認めない。当地ニュージーランドはイギリスの元植民地であったので、ブラジルのカトリック文化と基本的にはそれほど違うことは無いだろうと思っていた。確かにイギリス系白人の文化はそれほど変わらないものであったが、こちらの先住民族には全く異なった文化が存在した。そして、とりわけ考え方が非常に日本文化に近いことにも驚きを隠せなかった。

日本人とニュージーランド先住民族に共通点があることを実証してくれる研究がある。東京医科歯科大学名誉教授の角田忠信氏が「音」を使い左右脳の優位性を民族ごとに調べたところ、日本語を母国語として成育した日本人は自然の音を左の言語脳で受け止めるという。確かに日本人は昔から虫の音や風の音など自然の音に耳を傾け、共に暮らしてきたと思う。対照的に、欧米人は自然の音を雑音や機械音と同じく、右の非言語脳(音楽脳)で受け止めるという。日本に近い韓国・中国や他のアジア諸国では欧米型の傾向がみられるというから意外だ。では日本人と同じ型は存在するのだろうか?との思いが湧くが、さらに調べていくとなんとサモア、トンガ、ニュージーランドといったポリネシア語を母国語とする人々がこの実験では唯一、日本人の脳と同じ型だった。未来を見据えたときにさらに興味深いのが、ニュージーランドで調べたところ、英語を母国語として育った人は欧米型だったということだ。

先住民は800~1000年前にポリネシアの島々、特にタヒチ島から渡って来たと言われている。1800年代になって、イギリス人がこの地に移住して先住民との戦争など軋轢があったが、平和条約締結でイギリス直轄の植民地となった。そして、1931年にイギリスから独立をはたすが、双方の言語の違いから1840年に結ばれた条約は多くの誤解があり、現在でも先住民の権利につき問題が絶えない。こうした歴史的背景からもまた、異なる文化からも両者は相容れ難いところがある。

入植者たちによって当地の森林は伐採され牧場と化していった。彼らは羊を飼育し、これは人間が生活してゆくには非常に都合の良い家畜であった。食生活は羊の肉を食べ、冬が来れば羊の毛皮で寒さに耐えた。衣食住のうち住は伐採した木材が利用できるので生活には事欠かなかった。やがて、イギリス本国からクローバーの種がもたらされた。栄養価の高い牧草を得ることができたが、ニュージーランドには花粉を媒介する昆虫がいなかったか少なかった。その上、クローバーなどは一年草でもあり、毎年本国から種を持ち込む必要があった。時の進化論で高名な学者ダーウィンの提案で西洋ミツバチがもたらされ、その後クローバーは順調にニュージーランド中に繁殖してゆき、これがニュージーランドでの養蜂の初めとなった。
そして、先住民も入植者にならって養蜂をするようになっていった。

先住民の養蜂と入植者の養蜂では考え方が違うのか、そこには大きな差があるように思う。入植者たちの養蜂は、採算が取れなくなった群れは放置したり使い捨ての養蜂が問題になることもある。こうしたずさんな管理をすると、蜂の天敵のダニが多量発生したり、疫病の大きな原因となる。特に怖いのは幼虫が死んでしまうアメリカ蛆腐病で、これは非常に感染力の高い病気である。一度この病気にかかると、その菌は胞子を作って数十年も存在し、ミツバチに感染して条件が整うと病気が発生する。私はこの疫病が大変怖いので、使用した巣箱は一旦、大型の高熱ガスバーナーの火炎で消毒・殺菌して次のシーズンまで厳重に保管する。ところがこちらの養蜂家はこうしたところまで細かな神経を使わず、病気蔓延の原因を作っている。

そして、飼育方法も非常に大雑把であり、永続できるような飼育はしない。それはやはり農耕民族と狩猟民族の異なるところかも知れない。ここの先住民による養蜂はいつもミツバチと共に生きるといった、極めて自然の摂理に従った飼育の仕方を行うし、自然を大切にした考え方で養蜂をしている。
少し前の話であるが、羊飼いが羊肉の値下がりで、飼育している老いた羊を次々と岸壁から海に落として処分し、それをサメが食べて一帯の海は異常なほどサメが増え、人的被害も出たといった新聞記事を見たことがある。これに比して先住民は決してこのようなことはしないし、考えもしない。これは神々に逆らった行いであるし、入植者がやってきて森林を広範囲に伐採し、山頂まで丸坊主同然、牧草地に変えてしまう、このような考え方は神々を恐れる先住民族の共感は決して得られない。

こうした点で私と先住民を中心とする養蜂家とは、共通した意思の疎通ができる。これからも彼らと、この大自然から授かったマヌカ花蜜による製品をより多くの人々に広めて行き、その介在者である彼女たちと「サスティナブル」つまり人間の活動が自然環境や資源に悪影響を与えず、かつその活動を維持できる養蜂を行っていきたく思っている。